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紅茶さんのとこで「Toheart的/Kanon的、という区分は前者「ヒロインたちの物語」に焦点を当てた時にのみ成立するものであり、主人公の物語を紐解くにはあまり助けにはならない」と言われた。
話自体は大筋で同意なのだが、敢えて異を唱えたいと思う。
(あらかじめ言っておくが、あちらさんの本筋の主張には概ね同意であり、敢えてただの一フレーズを抜き出してそこについてのみ語っています)

Kanon系とToHeart系を分類するときに最も大きな点が「ヒロインのトラウマ」であることは明白だと思う。
大きな山波を作るのにトラウマは必須とまでは言わなくとも非常に便利なアイテムであり、これさえあれば起承転結が付けられると言っても過言ではないと思う。
では、Kanon系とToHeart系の大きな違いはヒロインなのだろうか?
私はそれは否であると思う。
最も大きな違いは主人公であると主張する。

ToHeartの浩之とToHeart2の貴明を比べてみる。
この二つのゲームはもともと続編なだけに、ヒロインの構図が非常に似通っている。
判りやすいところで言えば、琴音≒るーこ、智子≒愛佳、芹香≒花梨、あかり≒このみ、志保≒環とみなすことは容易かと思われる。
ここで、それぞれのヒロインにおいて主人公が果たした役目を考えれば浩之と貴明の違いは明白である。
すなわち、貴明がヒロインの困難や問題点に関して積極的に問題を解決しようと動き回るのに対して、浩之はヒロインを焚きつけ応援しサポートはするが、積極的に問題を解決しようとはしていなかったように思える。
判りやすいところで琴音とるーこと比較するが、琴音に対して主人公は「琴音が超能力を扱えるように特訓した(特訓の相手をした)」のに対して、るーこにたいして貴明がしたことは「るーこが帰ることが出来るように花梨に頼んで自分と一緒にベントラーした」だ。
しかも、琴音が主人公が飽くまでであるのに対して、るーこは自らが帰ろうとはしていない。完全に貴明が行動のである。

もっと判りやすいところで言えば、「遥かに仰ぎ、麗しの」が判りやすいのではないのだろうか。
アレは本校がKanon系であるのに対して、分校はToHeart系に近い。
恐らく、ライターが逆であれば結果が同じだったとしてもそこに至るまでの経緯は真逆になるほど異なったのではないかと思う。
栖香は言うに及ばず、美綺や邑那にもトラウマと呼べそうなものは確かにあった。
トラウマがありながら、Kanon系にならなかった理由は恐らく「主人公が積極的に動かなかった、サポートに回った」点にあるのではないかと思う。
(最も、私はかにしのにおけるその主人公の違いはヒロインにあるのではないかと思っている。分校系のヒロインは『大人』であるがゆえに主人公が主になって動く必要はなく、本校系のヒロインは『子供』であるがゆえに主人公が主になりヒロインを導かなくてはならないのではないかと)
すなわち、Kanon系ToHeart系の最も大きな違いは「問題解決に対して主人公が主でヒロインが従であるか、ヒロインが主で主人公が従であるか」だと思っている。
判りやすく言うと、積極的に動くかサポートに回るか。
誤解はして欲しくないが、たとえ主人公がサポートに回ったとしてそれは私の言う「主人公らしくない」ということを意味はしない。

そういえば、かにしののレビューもしようしようと思って忘れてたなぁ……
ゆのはなを再プレイしてゆのはなのレビューをしてからレビューした方がいいかと思ってたけどそのままズルズル一年半ほど……
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コメント
無題
どもです。
むしろ私のほうに書き方の問題があったかもしれません。
主人公が従である場合、大体のゲームにおいて「彼」の問題は後景化せざるを得ないという構造と、三毛招きさんの主張は矛盾しないと思います。
後景化したからといって「彼」に問題が存在しないわけではない、というのはかにしののみさきちルートなどによく現れていますね。そのシナリオがヒロイン寄りなのか、主人公寄りなのか――と分けるのはやや僕のほうで単純化しすぎた部分でもありますが、先の論においては問題を明確にするためにそうさせて頂きました。「シナリオの比重がまずヒロインに大きく寄っている作品において、主人公の立ち位置によって東鳩的、kanon的、という区分が可能である」ということでいいのかなー、とか。
【2009/05/05 08:21】 NAME[紅茶] WEBLINK[] EDIT[]
Re:無題
>主人公が従である場合、大体のゲームにおいて「彼」の問題は後景化せざるを得ないという構造と、三毛招きさんの主張は矛盾しないと思います。

んー、書き方が不味かったかなぁ?
私は「彼」が主である場合でも「彼」の問題は後景化していると思うのです。
というより、「彼」そのものが後景化しているといったほうがいいのかもしれません。
つまり、主人公が「主人公」でなく「狂言回し」でしかないということです。

>後景化したからといって「彼」に問題が存在しないわけではない、というのはかにしののみさきちルートなどによく現れていますね。そのシナリオがヒロイン寄りなのか、主人公寄りなのか――と分けるのはやや僕のほうで単純化しすぎた部分でもありますが、先の論においては問題を明確にするためにそうさせて頂きました。「シナリオの比重がまずヒロインに大きく寄っている作品において、主人公の立ち位置によって東鳩的、kanon的、という区分が可能である」ということでいいのかなー、とか。

そうですね。
主人公が「主人公」であるのに、彼のヒロインの問題に対する主従という点は関係がありません。
今回のことは「ヒロインに焦点を当てた場合の、主人公の行動」という観点からしているのであって、主人公そのものとは無関係といえるでしょう。
【2009/05/05 23:42】


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